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札幌150年 [札幌のまちづくりに着手したのは150年前の今頃]

12月24日(火曜日)  『北海道開拓の父』と呼ばれる開拓判官島義勇が

           札幌の街づくりに着手したのはちょうど150年前の

                   今ごろだった。


          幕末に蝦夷地を探検していた佐賀藩出身の島氏は1869年

         (明治2年)夏、その要職に任名され石狩地方に本拠地を造る準備

         を任された。旧暦11月11日(現在の12月7日)ごろに札幌に着い

                      たという

         早速『コタンベツの丘』(北海道神宮周辺)。から一望し、街の構想

         を練った。果てしない大地と一面の雪景色に心を打たれたのか、島氏は、

         壮大なロマンを漢詩に読む。   河水遠流時隅

                         平林千里地膏脾

                         四通八達宜開府

                         他日五州第一都

             (遠く川が流れ、隅には山がそびえる。平原が彼方まで広がり、

             地味は豊か。  各地へ道を通すのに便利で首府を置くに最適だ。

                   いつの日か世界一の都になるだろう)

            厳しい寒さと食料や物資の不足に耐えながら、島氏は札幌を離れるま

            でのわずか3ヶ月で、現在の大通公園や碁盤の目の市街地など、都市

                          の骨格を考えた。


           島氏が夢見た『世界一の都』は、どんな姿か。島氏に関する著書がある

           『時代を考えれば官都や軍都ですが、島氏は農地開墾も重視しました』。

           官庁街や住宅地の造成だけでなく、近郊には本州から移住者を募って

                       農村を造ることも計画した。

         

         農業とも調和した、緑豊かな田園都市。今に通じる理想的な街ではないか。

         島氏の夢、未来へ引き継ぎたい。  (今日の話題) (志子田 徹)

                  2019.12・24道新・朝刊・・・(拝読〜記)


               今日に相応しい記事だったので〜拝借いたしました!・・・


         お陰様で札幌市民になって早30年の私です。感謝〜感激の至りです。


            お休みなさいませ〜〜〜明日もお元気で〜〜〜[手(パー)][手(パー)][手(パー)]

         

           
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夏炉冬扇

150年。そのころのに日本人、自力で働いていた時代です。
by 夏炉冬扇 (2019-12-25 16:12) 

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