永山武四郎って? [開拓]
8月16日(金) 小学生2人の夏休み~
あと3日を残すのみと成りました^
そこで・・・北海道の歴史に触れる機会を得~行って参りました。
札幌市中央区北2条東6丁目(札幌ファクトリー、アトリューム東隣)
北海道有形文化財 旧永山武四郎邸
この建物の平屋邸部分は、屯田兵の生みの親ともいわれ後に、
第2代北海道丁長官となった永山武四郎が明治10年代前半に
私邸として建てたものです。
建物は,開拓使札幌本庁舎正門(赤レンガ庁舎)に通じる通りに面し
て建てられております。が、当時、この通りの界隈には開拓使の
工業局製作所、麦酒会社、葡萄酒醸造場、製糸所、紡縫場、病院
屯田司令部などがあり、北海道開拓の拠点でありました。
昭和62年11月27日 旧永山武四郎邸は北海道文化財に指定され
昭和63年と平成元年に建物の修復ならびに庭園とその周囲の整備を
行い祈念公園を設置しました。 札幌市教育委員会
永山武四郎は天保8年薩摩藩士永山左衛門・常子の
4男として、鹿児島で生まれました。
戊申の役(明治元年)明治4年陸軍大厨に任じられました。
この頃政府内では陸軍制の採用について,イギリス式と
フランス式の二派に分かれて議論がされました。
が、武四郎の主張するイギリス式は採用されませんでした。
その後、北海道の開拓と防備にあたろうと決意し
開拓使出仕転じました。
和室
使用禁止。……男性トイレ
使用禁止。……女性トイレ
☆ 北海道を愛した人
武四郎67才の5月、貴族院議員だった彼は、
東京で病に倒れ、明日をも知れぬ病状となりました。
食道癌だったようです。
残念ながら武四郎は東京でその生涯をとじましたが、
遺言通り葬儀は札幌で行われ,豊平墓地に葬られました。
今は里塚霊園に眠っています。
☆ 北海道の土に成ったわけです。