独り言… [思い出]
通れない道はない!・・・通りゃんせ^通りゃんせ
私は実家で、こんな事では お嫁に行けない・・・
此もできないと・・・あれもできないと・・・
赤飯も炊けないと〜ぼた餅も造れないと・・・
接客も〜お布団の敷き方も・・・有れや〜此や^と。
母は他家に嫁がせる娘を思って色々気を遣い・・・
躾をしたと思う・・・
だ〜けれども「所変われば品変わる」とは・・・
良く云ったもの。。。 全く違っていた!
働く嫁が一番らしい。。。外に出て働いたら良い嫁。
私は何もできませんでした!草取りも、田植えも。
見るも初めて〜聞くも初めて〜御飯の炊き方も。
先ずストーブの炊き方も知らなかった!(哀れ)
もっと大変だったのは井戸から水を釣瓶を使って
汲むこと。今は何処もその様なことはしませんが、
半世紀前の後志地方のことでした。
今は懐かしい・・・が〜 その当時は毎日毎日泣いていた・・・
今日帰ろうか・・・明日帰ろうか?・・・
嫁を努める積もりの私は・・・何と云って帰ればいいのかと。
帰ることも留まることも難題でした。立派に結婚式をして貰い
親戚・親・姉弟もお仲人さんも祝福してくれたのに。。。
日々涙に明け暮れていました。バカですね〜大馬鹿です!。
今なら大きなお口を開け遠慮しないで笑っているけれど・・・
ストーブも焚けない私は5年生の小姑より役に立ちませんでした
夢は大きく破れました!親孝行しよう〜小姑達には良い姉になろう。
いっぱい夢を抱いて嫁いだ私の夢は悉く破れて〜(泣く)
夜お布団に入ると涙が後から後から・・・楽しかるべき新婚生活は
後悔の連続・・・ハッハッハッ半世紀以上も前の出来事です。(笑)
では〜この辺で・・・その当時を懐かしく思い出しました(完)
ご機嫌よう!!!夢を見ていたような・・・日々(私の独り言)
人生色々・・・女も色々・・・そんな歌があったような〜無かったような♪
アッハッハ・夢のような人生でした〜(思い出)
今が良ければ全て良し・・・ハッハッハッ
親姉弟にはどんなに心配かけたか知れません!(ご免なさい)
今は何方様よりも幸せです〜〜〜自負しています。
今だから云えるけれど・・・ {石の上にも3年・・・}〜
「我慢したのは石の方・・・」と云う続きがあったのをご存知ですか?
・・・フッフッフッそうです! 沢山の石が支えてくれたから。
沢山の石に支えられて・・・今日がある
子供達と飲み・食べ〜笑った・・・幸せ噛み締めて♪楽しかった!
ご機嫌よう〜