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長女の誕生日 [思い出]

4月14日(金)   [晴れ]今日は晴れそうです朝日がキラキラ輝いています。
        ふと〜思えば・・・3歳4ヶ月で天に召された長女瑠美子の
        別れの日であった。あれから〜50年。。。何時も一緒!・・・
      楽しいときも、辛いときも〜傍にいてくれた。今も我が家の
          氏神様〜そう思ってお供えを欠かさず、
                    誰よりも尊んで来たつもり・・・
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      あの頃の私は北海道の空気に受け入れて貰う事にも精一杯で〜
          無我夢中でした。後悔する事ばかり。。。(追憶)

     昭和36年津軽海峡を渡って北海道に〜〜〜 夢一杯の私でした。  
      「北海道の馬文化」

            DSCN9451.jpg
     北海道の馬の歴史は古く、明治期には開拓の労働力として人々と
     苦労を共にしてきました。
     私が嫁いだ昭和30年代頃までは、全道的に何処の農家にも馬がいた
     農耕に限らず、馬橇や馬車にも使われていた。
     舅は、馬を愛し・何よりも大切に馬と共に家業に精を出していた。
     私は〜 一度乗馬がしたいと夢見るお年頃でした〜(笑)

     近所の若旦那の乗馬スタイルに憧れていたのもこの頃でした〜
                            (ウッフッフ)
     遂に叶わず〜乗馬は一度も許されることはありませんでしたが・・・
     最も〜裸で乗れる馬ではないので・・・馬車に乗って田畑を往復する
        のが常でした。 浅はかな考えの持ち主でした(苦笑)

     北海道開拓の労働力は、ショベルやトラクターではなく、馬という
     哺乳動物だったことを忘れてはならない。

     馬たちの子が、一斉に生まれてくる。産んだ子が未だ乳離れしない
     うちに働く母馬も大勢いただろう。。。農家の嫁もそうであった様に。
     主人の時代が来て・・・若者達の望む耕運機が次々に入ってきました

     その様な時代のあったことを忘れかけています。
                    [時計][時計][時計] 時代の変化の早さに。

     今日も又・・・思いの中で〜  昔が見え隠れしています。
           ご機嫌よう。今日も(独り言)[手(パー)][手(パー)][手(パー)]

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おばあちゃんの命日 [思い出]

1876年(明治9年)ねずみ年生まれの私の祖母。私が16歳の時没。
         旅立った年は閏年でした。なので〜29日だったのか?
        3月1日だったのか?隣に寝ていた祖父も気付かず。。。
       命日は3月1日と決まったのですが〜何時も3月1日が来ると
       祖母を思い出す。其れが明日です。
    其れから、7年後の私。
       北海道の・・・嫁になるなんて考えても見たことの無い事件です。
    今・現在〜こうして〜生かされていることの不思議を味わいながら〜
    
     祖母は気丈なお人でした、戦争中〜「大日本国防婦人会」の会長。
  1932年(昭和7年)から1942年(昭和17年)まで 存在した日本婦人団体
       略して「国婦」とは〜
        戦争に行く兵士の送迎など、戦争協力団体として昭和7年に
               女性達で結成された団体です。

      思い出すと〜〜〜家庭内でも厳しいお人でした〜(恐い!)
      躾けも厳しく。大嫌いでした!僅か5〜6歳頃の思い出です。

        母の苦労も並大抵では無かったのかと〜推測します[ふらふら]
        昭和7年と言えば姉が産まれた年〜私は居なかった!

        でも〜幼い頃の思い出が鮮明に残っていることもある
        祖父は優しい〜良い人でした〜大好きでした〜終わり(笑)
        
      明日はご仏前に何か好物を供えよう〜おばあちゃん有り難う!
        
          皆様其れでは〜ご機嫌よう。。。[手(パー)][手(パー)][手(パー)]

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紫陽花の花 [思い出]

6月14日(火) 朝6時半 ゴミを出して ̄その足でお花が見たくなった!
             紫陽花は咲いただろうか?・・・
       本州では梅雨に入り〜紫陽花がとても綺麗に咲いてる〜
       北海道だけは梅雨入りはないが…似た様な天気が続いていた。
      
       ご覧下さいませ〜[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
       紫陽花は〜〜〜まだ〜可愛い蕾…安心しました!
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       東京の三男の嫁が…お姑さんの好きな花だからと言って、
       鉢植えを買ってベランダで育ててくれたことがあった。
       そうそう^(6月)でした^何年前に成るのでしょう…

     思いおこせば〜〜〜孫娘が(今・大学生)3才ぐらいの頃だった!
        2番目の孫が生まれて〜私が東京を訪れた折でしょう………
     好きな花の中でも 6月生まれの私は紫陽花を好んで愛でた!!
     其れを知ってか・・・北海道へも贈ってくれた事がありました。

     懐かしい思い出が〜引き出しを開けたら〜〜〜次々と出て来ます。
             歳のせいでしょうか?…ホッホホ

       その頃。……私は未だ〜若かった!  アッハッハ…[手(パー)][手(パー)][手(パー)]
       

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独り言… [思い出]

     通れない道はない!・・・通りゃんせ^通りゃんせ
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     私は実家で、こんな事では お嫁に行けない・・・
     此もできないと・・・あれもできないと・・・
     赤飯も炊けないと〜ぼた餅も造れないと・・・
     接客も〜お布団の敷き方も・・・有れや〜此や^と。
     母は他家に嫁がせる娘を思って色々気を遣い・・・
            躾をしたと思う・・・
     だ〜けれども「所変われば品変わる」とは・・・
     良く云ったもの。。。 全く違っていた!

     働く嫁が一番らしい。。。外に出て働いたら良い嫁。
     私は何もできませんでした!草取りも、田植えも。
     見るも初めて〜聞くも初めて〜御飯の炊き方も。
     先ずストーブの炊き方も知らなかった!(哀れ)

     もっと大変だったのは井戸から水を釣瓶を使って
     汲むこと。今は何処もその様なことはしませんが、
     半世紀前の後志地方のことでした。

     今は懐かしい・・・が〜 その当時は毎日毎日泣いていた・・・[もうやだ~(悲しい顔)]
     今日帰ろうか・・・明日帰ろうか?・・・[新幹線]
     嫁を努める積もりの私は・・・何と云って帰ればいいのかと。
     帰ることも留まることも難題でした。立派に結婚式をして貰い
     親戚・親・姉弟もお仲人さんも祝福してくれたのに。。。
     日々涙に明け暮れていました。バカですね〜大馬鹿です!。

     今なら大きなお口を開け遠慮しないで笑っているけれど・・・
     ストーブも焚けない私は5年生の小姑より役に立ちませんでした

     夢は大きく破れました!親孝行しよう〜小姑達には良い姉になろう。
     いっぱい夢を抱いて嫁いだ私の夢は悉く破れて〜(泣く)

     夜お布団に入ると涙が後から後から・・・楽しかるべき新婚生活は
     後悔の連続・・・ハッハッハッ半世紀以上も前の出来事です。(笑)
     では〜この辺で・・・その当時を懐かしく思い出しました(完)
       ご機嫌よう!!!夢を見ていたような・・・日々(私の独り言)

     人生色々・・・女も色々・・・そんな歌があったような〜無かったような♪

          アッハッハ・夢のような人生でした〜(思い出)
          今が良ければ全て良し・・・ハッハッハッ 
       親姉弟にはどんなに心配かけたか知れません!(ご免なさい)
          今は何方様よりも幸せです〜〜〜自負しています。
            
        今だから云えるけれど・・・ {石の上にも3年・・・}〜
     「我慢したのは石の方・・・」と云う続きがあったのをご存知ですか?
       ・・・フッフッフッそうです! 沢山の石が支えてくれたから。
             沢山の石に支えられて・・・今日がある
      
      子供達と飲み・食べ〜笑った・・・幸せ噛み締めて♪楽しかった!
               ご機嫌よう〜 [手(パー)][手(パー)][手(パー)]



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母の面影 [思い出]

私の母は1905年(明治38年生まれ)父は昭和天皇と同じ明治34年生まれ・・・
私は其の3女として産まれた。母の話しによれば、せめてこの子が男のだったら。
その様に祖父も父も男の子を望んでいたそうな〜〜〜そんなこと言ったって。。。
私にはどうしようもないことです。  
     それから〜6年後〜(昭和18年)弟が生まれました。

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      男尊女卑・・・昔は跡継ぎは男の子(長男)と
           決まったようなものでした。
      長女の姉は婿取り娘…として育てられ、弟が生まれたときは
      18才になっていたのです。{さあ〜大変でした}

      婿を取って楽隠居しようと思った祖父。。。父は未だ弟の出生を
      喜んだと言いますが〜〜〜心中・・・複雑だったのでしょう

      そして姉は弟が5歳の時お嫁に行きました。

      そんな家系でした。母は女の子を産む度に「又女の子か。。。」
      と言われ〜耳が痛かったそうです。
      「大きなお口を開けてお米のご飯が食べられなかった・・・」と
      言っていたのを思い出します。

      その反対に私は男の子を3人と末に女の子・・・苦労もなく。
      母の苦労を思うとき…母だけの責任ではないのにね~(独り言)

      母の年まで生きてみたい!そしたら〜母の生涯が理解出来るかも…

      出来はしないと思うけれど…老いていく自分を重ねることは
                 出来るでしょう・・・

      母が懐かしい〜苦労の多かった母・・・今思い出しても涙が。。。
      母との思い出は、母の実家にお泊まりで出掛けることだけ・・・

      姉2人おいて私だけを何時もつれて。。。
      母の実家のおばあちゃん達にも可愛がって貰った私・・・

      お食事に出掛けたことも、温泉にいったこともなかった

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