恵まれた条件と人々の努力 [玉ねぎ]
前回の続きです。 {札幌村郷土記念館}
札幌村に玉ねぎ栽培が広まった理由はどこにあるので
しょうか。伏籠川沿のよく肥えた栽培に適した土地と
気候という自然条件に恵まれたということ。また、
中村磯吉や武井惣蔵らの新しいことに挑戦した人達がいた事が
考えられます。そして、他の作物や酪農に比べ栽培が楽だった
ことや、出荷時期が本州産のものと違っていたので競争しなくて
もよかったことなども好条件でした。更に長い間貯蔵できるので
遠くに運ぶこともできたことなども考えられます。
しかし、栽培が盛んになり、たくさん売れた一番の理由は
札幌村で作られた玉ねぎは、品質がとても良かったからでした。
「札幌黄」という名前で全国に知れわたった札幌村の玉ねぎ、もと
もとはアメリカ産のイエロー・グローブ・ダンパースという玉ねぎが
原種です。栽培当初は形も味も悪く、また、長く貯えておくことも
できない品質の玉ねぎでした。しかし、たくさんの農家で栽培される
ようになった明治17年ごろから、栽培者の熱心な研究と改良で品質の
良い「札幌黄」が作り上げられました。
その「札幌黄」を大大的に売り出そうと面白い宣伝をしたこともあり
ました。大正13年飛行機から東京の空に宣伝ビラをまきました。
この新しい宣伝方法に東京の人達もビックリしました。
そして、
;玉ねぎ娘;というマスコットガールを連れて小売り販売も成功し、
この宣伝をきっかけに玉ねぎはよりたくさん売れるようになりました。
{伝統と情熱を受け継ぐ}
札幌村で初めて本格的に栽培された玉ねぎは、現在全国で栽培される
ようになりました。
北海道では玉ねぎ栽培の中心地は、札幌を中心とした石狩地方から
網走・北見地方へと変わって来ています。しかし、東区でも約600ha
の面積で、例年札幌全体の半分を超える約3万トンの「札幌黄」を
生産しています。
毎年秋になると、丘珠や伏古地区などの玉ねぎ畑では、収穫作業に
汗を流す人達の姿をみかけます。
その昔は、馬が作業を手伝っていましたが、今では大型機械での収穫
作業と成っています。
時代は変わりましたが、玉ねぎに対する人々の愛情は変わりなく、
しっかりとその伝統を守り続けています。
青空が好き!このようなお空は最近嬉しい限りです!
有り難う!「お久し振りですね〜」と、ご挨拶!
北海道の歴史をもっともっと。。。
昔の人に出会いたい!話したい!…
孝行のしたい時分に親は無し
親孝行したいときには親は無し
ごめんなさい母さん!随分ご心配かけました〜
あ^あ^m(__)m アリガトォ(._.)オジギ