「合唱の輪」 [中学校合唱演奏会]
1月31日(日) 札幌市教育文化会館大ホール
この演奏会は、部活動などで3年生が引退した此の時期に、
新年度に向けた日頃の練習の成果を発表しあう、;合唱の新人戦;
のような位置づけとして生まれた演奏会です。
「札幌市合唱教育研究会会長さんのご挨拶より」
心が胸に有るとすれば、歌はその心を通った息から生まれます。
そして文字通り、息を合わせる合唱は、心を通い合わせることが
大切です。
豊かな心を育むために大切な役割を果たしている子供達の
合唱活動を、応援して下さい。と。。。結んでおります。
写真撮影は残念ながら出来ませんでしたが…
中学生らしい初々しい素晴らしい演奏に嬉しくなりました。
これからの日本を背負う彼等たちの真っ直ぐな姿が
私のこころにのこります。
最後に〜私の孫が「くちびるに歌を」(作詞・作曲・信長貴富)
この歌が物凄く素晴らしいので、お母さんに聞いて欲しいの!
との思いに。 娘は私を誘って呉れました。
医療関係に携わる職業の娘も我が子の演奏を応援したいと…
遣り繰りして我が子の演奏会に・・・
足を運び… 聞き惚れておりました。
子供の成長…今は孫の成長に目を見張る物があります!
教育の場では
行き届いた教育指導の一貫を垣間見た
感動のひとときでした。
自分になかった時代を…
孫を通じて楽しませてくれて有り難う!
やっぱり・まだまだ見たいこと〜
遣り残した事・いっぱいありますね(笑)
尊敬する人…大友亀太郎 [札幌村の始まり]
「大友亀太郎という人」 札幌村の土台を作り上げたその業績から
「開拓の祖」と称されることがある。
私達の住む札幌市は、日本の五大都市の一つとして数えられ、
美しい風光と北国の文化は国内外に高く評価されています。
しかし、今から150年前には人跡未踏の地でした。
慶応2年、大友亀太郎に石狩開拓の幕命を授け、原始林に覆われた
この地に大友堀を掘削、農民を募集し御手作場を作り、ここを
親村(元村)として石狩平野各地に子村をつくって一大農郡の
建設を計画しました。
色々の道すがらを経て・・・御手作場を祭歩路村(さっぽろむら)
と名付け、後に札幌村と定めました。
大樹が林立し、身の丈を越える熊笹が繁り、野獣に襲われる中、
150年の歳月を困難に挑んで来た先人の苦闘の歴史があればこそ、
今の札幌の発展があるのだと思います。
着任150年大友亀太郎の功績を記念すべく年に当たり
札幌村郷土記念館では〜展示会・講演会
亀太郎直筆の遺品やそろばんの他明治期から栽培された
タマネギ関係の器具など約2700点が展示され、中14点は
市の有形文化財に指定されている。 そうです〜〜〜
郷土史家をお招きして講演会の開催を検討している〜
そうです。
大げさな言い方ですが…
この方が居られたから^ 「元一日…」が有ったから。。。
私が今〜此所にいる…そう思うと 感慨深いです。
開拓の苦しさも私なりに 一寸だけ…しょっぱい汗を…
泣いたり…笑ったり…逃げて帰った事も思い出しています。
アッハッハッ・涙も…鼻からも…何故か?ウッフッフ・
有り難うございます札幌に逢えて〜今〜幸せです!